戻る?
 受験生の僕にとって、校内模試はもはや恒例のイベントとなりつつある。
日頃あまり真面目に授業を受けない僕だが、テストとなると話は別だ。
前日に賭けるだけ賭けてから、一夜漬けを開始するのである。
普段から成績優秀だと賭けは成立しないのだ。

 いつもの教室に着く。
席は模試の時だけ出席番号順になることを覚えていたので、
僕は窓際の前から3番目の席につく。

 机の上に人形が座っていた。
人間そっくりに作られた僕と同じくらいの年頃に見える女の子の人形だ。

「誰の忘れ物だ?」

 手近な人間にここに普段座っているのは誰か聞く。
指を差した先にはクラス一凶暴な男が不機嫌そうに頬杖をついていた。

「やあ、これ君の?とっても可愛いね。君こういうの好きなの?人は見かけによらないなあ」

 なんて言おうものなら圧殺されるかもしれないな。
誰かの忘れ物がたまたまこの席に載っけてあったんだろう。
とりあえず僕に人形を愛でる趣味もないし、
邪魔なので教壇にでもどけようと人形をつか……めない。
人形はそこにあるはずなのに手が人形をすり抜けるのだ。

「ありゃ?」

 もう一度試してみるがどうしても手は人形を掴むことができない。
何度か人形の中で手をにぎにぎしてみる。

「触れないってわかってても身体の中に手を入れられるのって不愉快ですー」
「うわあっ!」

 人形が喋った。僕は驚いた。後ろに跳び退った。
丁度近くにいた僕の友人と頭をぶつけた。

「何やってんだよ!」

 友人が顎をさすりながら抗議してくる。
僕は後頭部を押さえながらも友人の方には向き直らず、
机の上の人形が立ち上がるのをじっと見ていた。

「ごめん……じゃなくて、それよりも!何だよこれ!」

 僕は人形─こうやって動いているのを見ると
小人といった方がいいのかもしれない─を指差した。

「……何言ってんだお前?さっきのでおかしくなったか?」
「人差し指を人様に向けるなんて失礼ですー」

 友人は心配そうに僕の顔を覗きこんだ。

「何言ってんだよ!これ見て何とも思わないのか?」

 良くわかるように接触寸前まで指を近づける。
小人がきゃっ、と照れたように一歩引いた。

「あー?『正しい避妊はヤらないこと』?まあー正しいっちゃ正しいだろうなあー」
「ちがーう!」

 友人は机の落書きを読んでくれたようだ。
周りの女子からの忍び笑いが聞こえる……。
クラス内の僕評価に大きくひびが入った気がする。

「もういい……」
「変な奴だな。お、もう始まるぞ」

 丁度チャイムが鳴り、友人は自分の席に戻っていった。
僕も席に座る。目の前にはA4サイズの女の子が。

「ちょっと混乱なさっているようですねー。わかりましたー、ではこれをご覧になってくださいー」

 女の子が片手を横に差し出すと、ポン、と小さな音がして、
煙と共にミニチュアサイズの文庫本が現れた。
女の子はそれを開いてこっちに見せてくる。
文字は小さい上に日本語でないようなのでわからない。

「今から問題配るぞ。席に着け」

 教師が教室に入ってきて慌てて紙を配り出す。問題3枚、解答用紙1枚。
全てが回るまで、僕は女の子から視線を外さなかった。

「あのーそこで無反応だと何も対応できないですー」
「読めないんだよ」
「読んだらだめだぞ。『始めろ』と言ってからだ」

 教師の注意。
女の子は今理解したかのように手を打って笑った。

「下界の人間は勉強不足って聞いてましたがこういうことだったんですねー」

 多少ぴくっと来たが、相手は良くわからない存在なので下手に行動には出ないでおこう。

「わたくし、テストの精なのでございますー」
「そうか」

 『テストの精』という単語でなんとなく結論が見えてきた。

(寝不足が過ぎると妖精が見えるってのは本当だったんだな……)

 妖精というのはもっと小さくて神秘的で羽が生えてて
空の飛べるものだと思っていたが、そうでもないようだ。
自分の想像力が貧困だからかもしれない。

「理解が早くて助かりますー。では早速始めさせてもらいますね」

 女の子は本を消して、代わりに黄色いぽんぽんを出現させる。
チアガールが応援のときに使うあれだ。
何をするか予測できそうだったが、何故するか推測できなかったので聞いてみた。

「何するんだ?」
「ボケるなよ、今からやるのは世界史だぞ」

 何故この教師はどんなに小声でも僕の台詞を聞き逃さないのだろうか。
目を付けられているのかもしれない。

「お仕事ですー。わたくしはテストする者を応援するのがお仕事なんですー」

 女の子は一心不乱に踊り続ける。

 二度目のチャイム。

 皆が一斉に問題を表向けて解答を始めた。僕もそれに倣う。
スペインにある古代人が描いた壁画のある洞窟は。アルタミラ。
アメンホテプ4世はどこに首都を築いたか。テル=エル=アマルナ。

「ふうーいい汗かいたですー」

 応援じゃなかったのか。
 女の子はぽんぽんを消して、スポーツドリンクと折り畳み式のイスを出して座る。
ぶつからないとわかっていても無意識に避けてしまうので、机の上が妙に狭い。

「試験に望む時はまず平常心ですー。人間、落ち着かないと出る知恵も出なくなるし、
 慌ててるとちょっとしたミスを起こしやすいんですよ」

 受験に望むアドバイスを講釈し始める女の子。
そのおかげでいつも気になる周りの鉛筆を動かす音が気にならないのは事実だが、
だからといって集中力が増すわけではなく、一層集中できていない気がする。
「試験の前日にトンカツを食べて験を担ぐ人っていますよね。
 あれって朝からでも食べるんでしょうか?
 おなか一杯食べてたら胃に血が寄っちゃって集中できなくなるんですよね。
 あなたは大丈夫ですか?
 今にも栄養失調で倒れますって感じですからそんなことはないですよねー」

 顔色が悪いのは徹夜のせいだし、妖精が見えるのも徹夜のせいだ。
何もかも徹夜が悪いんだ。
今度のテストは3日くらい前から計画的に勉強しよう。
モンゴル帝国の遷都は。カラコルムから大都へ。

 校舎の外でバイクの爆音。最近よく来る。いつもは気になるが今日は子守唄のようだ。
人間、別の痛みがあると他の痛みは気にならないものなのだ。

「あ、勉強に恋人が邪魔って言われますけど、そんなことはないんですよねー。
 個人次第では恋人がいる方が頑張れるって人もいますし。
 あなたはそんな器用なほうじゃないでしょうねー。彼女すらいないと思いますけど」
「うるさいな!」

 とうとうこらえきれずに叫んでしまった。クラスの雰囲気がざわめく。

「ま、まあ落ち着け。バイクがうるさいのはわかるが、今は我慢してくれ」

 ふう、どうやら変な人扱いされるのだけは回避できたようだ。

 とりあえず、これは僕の妄想の産物でしかないのだ。
もう二度と反応してやるもんか。
僕はいつも通りの、いつも以上の集中力を発揮して次々と問題を解いていった。

(おおお……これは調子がいいぞ?)

 結構力がついてきたのだろうか。
机の上の物体が何やら叫んでいるが今の僕には全く聞こえない。いい感じだ。

(2……4……3は×。答えは1、と……)

 そろそろ最後だ。あと3問・・…2問……1問。

(……わからん)

 最後の最後にど忘れをしてしまった。これは難易度的には中だ。
以前にやったのも覚えている。だが、肝心の答えが思い出せない。
喉の奥から出てきそうなのに出てこない、もどかしい感覚。

(ああっ、これさえ解ければ奴に勝てるのに!)

 などと根拠のない決め事で自分を縛って思い出そうとするが無理なものは無理だ。
もう一度問題に目を通そうとした時に女の子の声が再び聞こえてきた。

「トラファルガーの海戦、ですよ」
(おお、それだ……!)

 女の子がにこにこ笑って立っていた。

「それぐらい出ると思ったんですけどー。やっぱり下界の人間は勉強不足ですねー。そろそろ時間なんで帰りますー」

 それじゃ、と言って女の子は机から降りてドアの方へ歩いていった。

 そう、トラファルガーの海戦だ。
僕はさっきからそれを思い出そうと必死だったんだ。
これで確実に合っている筈だ。さすが僕の妄想の産物だ。
書きこもうと鉛筆を握った時、どこかからくすっと忍び笑いが洩れた気がした。
 ドアの向こうから女の子が笑ってこっちを見ていた。



「あー最後の問題なんだったー?」
「トラファルガーだな」
「あーそう、それー。どーもこの辺まで出てるのに出なかったんだよな。お前書けたんだ」
「いや、書かなかった」
「へ?それで合ってんだろ?何で書かなかったんだ」
「いいんだ。試合に負けて勝負には勝ったってやつさ」
「そんなもんなのか」
「そんなもんなんだ」

[EOF]
戻れ。

・・・あとがき。

HDDの奥深くに潜んでいたテキストファイルをサルベージ。
一応見直しはしてみたのですが・・・。
今回読みやすいように適当に改行しているのは決して文章量が少ないから水増ししようと思ったわけではなく。
まあ自分が読んでみて段落ごとの改行+行間びっちりだと読む気すら失せる事実に気づいたから・・・。
HTMLは縦方向に無限の紙なんだしけちけちせずに改行しましょ、と思ったわけです。
画面の解像度が紙と同じくらいになって縦書きHTMLが標準化されればなあ・・・。

作品については何も言うますまい。
昔書いた文章を読み返すと「なんでこんなの書いたんだ?」と首を360°くらいひねりたくなります。
まあ多分このときのお題が「妖精」だったんでしょう。
ファンタジーの王道ですよね、妖精。
本作品はファンタジーではありませんが。

妖精、と聞くと真っ先に思い出すのがティンカーベル・・・ではなくさっぱり妖精なところが俺は少年誌系列だなあ、と安心できます。
基本的に妖精は役に立たないものだと思ってます。
ナビィの役に立たないこと役に立たないこと・・・(by64ゼルダ)。
人間の世界には不干渉と言うか、悪戯とか少しの手助けはしても重大なことには口を出さないでくれるとことかが妖精が名脇役たる所以かと。

とまあこんな感じで。
ここまで読んでくださった方々、どうもありがとうございました。
戻れって。