「例えば水上君がもしこのまま吸血鬼になっちゃったらどうする?」 聡美が聞いてくる。 「案外開き直って吸うんじゃないか?」 暢気に答える自分がいた。現実はそんな簡単に開き直れるものじゃないぞ。 「結構吸うのに抵抗あるんじゃないかなあ」 その通りだ。俺は人を殺したくもないし、こんな化け物に変えたくもない。 「けど、もう人間には戻れないんだろ?」 それもその通りだ。もう俺は人間には戻れない。人殺しになるか、全てから逃げるかのどっちかだ。もしくは……命を断つか。 それだけは考えられなかった。俺はまだできることがあった。足は動く。仲間もできた。生きていれば何かいい手段がきっと見つかるはずだ。 聡美の顔が目の前に浮かんだ。驚き赤らんだ顔。付き合っていたわけでも、特別に好きだという自覚もなかったが、俺はその顔をずっと見ていたかった。 視界がだんだん暗くなってきた。俺の視線が聡美の顔から肩へと移る。俺は聡美の肩に噛みついていた。肉の千切れる音と、骨の砕ける音、聡美の悲鳴、そして俺の悲鳴が順番に聞こえた。 「あ、気がついた」 芳野は目を開けた。空が黒い。大分時間が経っているようだ。身体を起こそうとして、折れていることを忘れて腕に力を入れる。痛みに芳野は再び倒れた。目覚めの悪い夢を見たのか、芳野の額に汗が浮いている。 「ちょっと!」 声は聞き慣れたものだった。聡美が少し離れた所から芳野を見ていた。 「やっぱどう考えても折れてるよね、両腕。右手も穴が開いてるみたいだし」 「ここは……?」 芳野は寝たまま顔を横に向けた。自分は草むらに倒れているようだった目の前には池がある。逆を見ると土の壁があった。その手前に、同じく倒れ伏している未緒がいた。芳野はこの場所を見たことはあったが、思い出せなかった。 「公園。小島だよ」 聡美が場所を告げる。最初に未緒と出会ったあの公園だった。池の中央に小さな小島があり、その崖になっているところのようだ。小島には二本橋が架かっていたが一つはかなり前に壊れ、そのままになっているため人はあまり通らない。上にある外灯の光も届かず、対岸と一番距離が離れているので、この暗さでは対岸から発見されることはまずない。 (未緒……がここまで飛んだのか?) 最後の記憶から、芳野は未緒が飛んだのを覚えている。飛翔というよりは跳躍だが、その距離は尋常ではなかった。それが未緒の「第三の力」なのだろうか。 そして、問題は目の前の聡美だった。 「なんで……ここに……?」 「それはこっちが聞きたいよ。人にキスして逃げ出したと思ったら、変な女の子と空飛んでるんだもん」 聡美が何故ここにいるのか、と聞いたつもりだったが少々検討外れな答えが返ってきた。知りたいことはわかったからいいが。 「他に人は?」 「何人か見てたけど、なんか信じられないって顔してた。一瞬のことだったしね。あたしだって水上君の顔見えてなかったら追いかけなかったよ」 どうやら秀治を撒くことには成功したようだった。未緒もそう思ったから、ここに身を隠したのかもしれない。 芳野は左の肘で身を起こそうとする。聡美が補助しようと近寄るが、芳野は手で制した。 「寄るな!」 芳野がきつく叫ぶ。聡美が芳野の穴の開いた右の手のひらを見て止まる。 「水上君も同じこと言うんだね……」 同じこと?、と芳野は聞き返そうとしたが、未緒しかいないことに気付く。恐らく未緒も聡美に会ったのだろう。 「空を飛んでたかと思うとここにいきなり落ちて、来てみたら近寄らないでって言われるし、救急車呼ぼうとしても誰も呼ばないでって言われるし。一体何がどうなってるの?」 聡美の疑問はもっともだったが、どう説明したらいいか芳野にはわからなかった。それよりも、この傷ついた身体では、聡美が近くにいると確実に襲ってしまう気がする。 「また今度説明する。今はとにかく帰ってくれ」 上半身を起こして芳野が言い捨てた。聡美が文句を言おうとするが、芳野の真剣な目に気圧される 「けど……、本当に説明してくれる?」 聡美がちらりと未緒を見る。未緒は何かうなされているようだった。 「ああ、絶対する。だから早く行ってくれ」 「つれないですね、心配してくれてる友人を邪険に扱うとは。最近の若者は本当に礼儀を知りません」 上から秀治の声がした。見上げると、そこには多数の銃口が芳野達を捉えていた。聡美がその異様な光景にひっとのどを引きつらせる。 「大人しくしていてください。逃げようとしない限り彼らは絶対撃ちませんから」 秀治が土の斜面を降りてくる。芳野と秀治は聡美を挟んで向かい合うことになった。芳野が聡美を来いと言うべきか脇にどけと言うべきか悩む。 「安心してください。例え感染者と言っても、周囲に三人以上の人間がいる中で衝動は起こりません。そのお嬢さんを襲うことはないはずですよ」 秀治の言うことを全面的に信用していいのかわからなかったが、自分の傍にいたほうがいいと芳野は判断した。 「赤井、こっちに来い」 「う、うん」 頷くが、聡美は戸惑っているようだった。「感染者」「襲う」といった単語が引っかかっているのだろう。 未緒が秀治の声に気付いて素早く身体を起こす。 「ようやくお目覚めですか。もう一度だけ尋ねましょう。おとなしく保護を受ける気はありますか?」 「保護?」 聡美が疑問を口にする。秀治は薄ら笑いを浮かべて聡美に質問する。 「お嬢さんは彼の知り合いですか?」 「え?は、はい」 「そうですか……残念ですが、彼はもう人ではありません。彼は人を襲う化け物に襲われて、自分も化け物になってしまったんですよ。戸籍上、いや人間としての彼は死亡しています」 聡美が信じられないという顔で芳野を見た。芳野は聡美に何か言いたかったが、かける言葉が思いつかなかった。自分が化け物だということは事実だからだ。聡美は無言こそが答えだとわかったようだった。 「そして我々は彼らが人を襲わないように保護しに来た機動隊のようなものです。ご協力をお願いします」 聡美はどっちをとるわけにもいかず、両者を見比べておろおろするばかりだ。 「保護を、受け入れてくれませんか?」 「絶対に嫌だ」 秀治の薄ら笑いが消え、能面のような表情の後、再びあの残忍な笑みが浮かぶ。 「あなた方のような強情な若者は最近じゃ少ないんです。私も久しぶりに楽しく仕事ができる……」 「いやっ……」 聡美は秀治の表情に恐怖を感じ、芳野の方へ駆け出した。 「感染者は殺さずに連行するのが絶対条件なんですが、一つだけ殺してもいい場合があるんです」 抜き撃ち。銃声。次の瞬間芳野の目に映ったのは、左胸から血を流してゆっくり倒れる聡美の姿だった。 音が消えた。 「感染者が、既に人を殺している場合です」 |